審判委員会


2003年 競技規則


競技規則と審判の歴史

1.競技規則の歴史

 現行の競技規則(Laws of the Game)の最初のものは、「Laws Adapted by the Association in December 1863」であることは皆さんも既知の通りである。

 この最初の競技規則の草案に大きな影響を与えたのは、「The Cambridge Rules of 1863」である。このケンブリッジ大学ルールの草案に当たった委員はすべてパブリックスクールの出身で、委員の構成はShrewsbury、Eton(2名)、Harrow(2名)、Rugby(2名)、Marlborough、Westminster校出身の9名であった。(彼らが草案したLawsが1863年のFA Lawsの草案のもとになっていた例証は、Harrow(public school)のHouse matches(寮の対抗試合)のゴールの幅は12feetであった。“If the first day's plays result in tie the distance between the poles shall be doubled!”と記されている。12feetのdoubleは24feetで7m31.52cmとなり、繰り上げて7m32cmの現在のゴール幅と同じである。HarrowのOBがFA Lawsの基になったThe Cambridge Rulesの作成委員に2名入っていたことを考えれば、public schoolのrulesの考え方がFA Lawsにも関連していたことの例証と見ることができようか。)
 このケンブリッジ大学のルールのもとになったのは、「The Simplest Game」であり、「Extract from the Rules of Eton College in force in 1862」であると考えられる。各パブリックスクールやカレッジで行われていた各種フットボールのプレイヤーたちがケンブリッジ大学に進学して、統一ルールでフットボールを行えるようにしたのが「The Cambridge Rules」と考えられる。

 各パブリックスクールでの各種フットボールの誕生以前は、1314年にエドワードII世の名によってロンドン市長が出した“フットボール禁止令”に見られるごとく、14世紀から16世紀にかけて行われていた“Mob Football”、“Street Football”であった。これらのフットボールは若者のエネルギー発散の場であり、どんなことも許されて、とにかくボールを何キロも離れた特定の場所まで運べば勝敗がつくという乱暴なゲームで、ケガ人続出であったようである。何回も禁止令を出し、罰金を課しても止めない若者たちのフットボール熱を教育的に扱って成果を上げたのが、各パブリックスクールの各種フットボールであり、各種フットボールのルールである。

これらの、現行のサッカーの競技規則の制定に至る経緯を見るとき、スポーツ(フットボール)の成立・普及・発展は、ルールの創設であり、ルールの統一であり、ルールの改定にあることが読み取れる。
 あえて記するならば“サッカーは紳士のスポーツである”と言われてきたのは、すべてのパブリックスクールは“紳士教育”を理念としていた。そのパブリックスクールでそれぞれルールを作って各種フットボールを教育的に活用した。パブリックスクールは違っても紳士教育を受けた各校の卒業生がケンブリッジ大学ルールの草案に携わり、それをベースに、1863年に最初のサッカールールができた。この最初のルールに罰則規定はない。プレーヤーはルールを順守して紳士的にプレーするのだから罰則規定はいらなかったと思慮できる。

1863年の「Laws adapted by the Association in December 1863」の設定により、アソシエーション式フットボールクラブも多くなり、技術の向上が見られた。
1871年に「FA Challenge Cup Competition」が始まり、技術の向上とともにルール違反が目立つようになる。ルール違反に対処するための罰則規定の新設・強化、審判の導入と権限の強化が順次取られてきた。これらについて少しく触れれば、競技場は数回の変遷で1902年に現行のものに近くなり、1937年に現行のものとなる。
1873年には違反に対してフリーキックが設けられ、不正・不法行為が明文化され整備されてくる。
1880年には警告・退場が制定される。
1891年にはペナルティーキックが設けられている。スローイン、ゴールキック、コーナーキックのリスタートの方法も種々検討・変更され現行の方法に改定されている。
1904年に国際サッカー連盟(FIFA)が創設され、多くの国際試合が行われるようになった。
1931年に国際評議会(ルール改訂の唯一の機構)にFIFAのメンバーが加わることになり、世界的なサッカーの普及・発展につながっていくことになる。


2.ルールの変遷の概要

(1) 1863年〜1950年頃までの約90年間で、今日のサッカールールの基礎が確立されたと見ることができる。
(2) 1950年頃〜1970年頃までの約20年間は、違反行為や手続き等の具体的な内容についての追加条項が多くなった。これらは世界的に普及したサッカー競技のルールの統一的な解釈の必要性に迫られての改正と見ることができる。
(3) 1970年頃から、競技時間増を目指して、ゴールキーパー絡みの時間稼ぎの防止やアウトオブプレーの時間を減少させる内容が多く加えられた。また、ゴールキーパーとフィールドプレイーヤーの交代や、補欠選手との交代を3人まで認めることや、オフサイドについても的確に判定できるように規定された。これらは、より激しい魅力のあるサッカー競技を目指してのルール改正と見ることができる。
(4) 1990年頃〜現在までは、ラフプレー、ダーティープレーの禁止、オフサイドの違反の適用に関する変更、得点のチャンスをファールで奪ったプレーヤーへの厳罰、実際の競技時間増など、フェアプレーの振興、得点を増やす施策により、スポーツとしてのサッカーの品位を保ち、スピーディーで、アグレッシブで技術的にも高度な現代サッカーを目指した改正と見ることができる。


3.審判の歴史

審判の歴史を理解するのに関わりがあると思われる事項を含めて、年代を追って審判の歴史に触れてみたい。
Earliest solution

パブリックスクールや大学等の試合では、両チームのキャプテンがゲームをコントロールしていた。両キャプテンの意見が会わないときに、アンパイヤ−に尋ねて処していた。
・1863年
「Laws adapted by the Association in December 1863」いわゆる「FA Laws」が創案され承認された。
The Football Association創立
・1871年 FA Challenge Cup Competitionが始まる。
“The Committee shall appoint tow Umpires and Referee”
とあり、委員会は準決勝、決勝に2人のアンパイヤーとレフェリーを派遣しなければならない。2人のアンパイヤーの意見が合わないときにレフェリーに尋ねる。レフェリーの決定は最終である。
・1873年 Scottish FA創立
・1874年 競技規則にUmpireの呼称がはじめて載る。
・1876年 Wales FA創立
・1880年 Ireland FA創立
・1883年 国際評議会(International FA Board)がFA(England)、Scotland FA、Wales FA、Ireland FAの4協会から2名ずつ8名の委員で構成され、競技規則の改正を司ることになる(1931年よりFIFAからもメンバーが入る)。
・1886年 FAが2人のアンパイヤーとレフェリーを役員として派遣することになる。アンパイヤーがスティックを上げてアピールするとレフェリーが笛を吹く方法であった。
・1888年 レフェリーはタッチラインの外にいる。
・1889年 選手からのアピールは許されなくなった。
・1890年 レフェリーがフィールドに入る。アンパイヤーはフィールドから出てスティックを小旗に持ちかえ、2人のラインズマンとしてレフェリーを援助することになる。
・1891年 競技規則にRefereeの呼称がはじめて載る。
・1893年 Englandに審判協会(Referees Association=RA)が創設される。
・1896年 審判協会のレフェリーズチャートが発刊される。
・1904年 FIFA(国際サッカー連盟)創設
・1921年 大日本蹴球協会(JFA)創立(大正12年)
1920年〜1930年代に対角線式審判法が行われ、スタンレーラウス卿(元FIFA会長イギリス人)が国際試合やFA Cupの決勝で試み好評を得るがFA内では批判もあった。
・1934年
2人レフェリー制の実験研究なども行い、対角線式審判法について議論・検討する。
・1935年 すべての試合に対角線式審判法を採用することになる。世界的にも対角線式審判法が行われ、今日に至る。
・1937年 現行のような17条の競技規則になる。
・1958年 国際評議会の決定が各条文に入る。
・1996年 LinesmenからAssistant Refereesに名称が変わり、任務・援助も増える。
・1997年 競技規則が現在の形式になる。


 このように審判に関する推移を見てみると、その時代時代のサッカー競技に見合った審判法が採用されてきていると思う。現代サッカーはスピーディーで、アグレッシブで勝敗にこだわってプレーしているように思う。1つ許せば(見落とせば)ラフプレー、ダーティープレーとなり、シミュレーションをし、得点の決定的なチャンスをファールで奪う等、品位のないスポーツに堕しかねない。審判の任は重大である。その審判を指導するインストラクター・インスペクターの任はさらに重責といえよう。

【参考文献】
(1) 「The History of the Football Association」 FA,1953
(2) 「History of the Laws of Association Football」 FIFA,1974
(3) 「競技規則の変遷」新田純興、「サッカー」第24号、昭和37年10月
(4) 「(財)日本サッカー協会75年史」(財)日本サッカー協会,1996



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